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マクドナルドに学ぶ飲食店多店舗化の極意

マック(マクドナルド)の展開初期 マックとドムドムの関係についてお話しました。 ダイエーがライセンスを取っていたら、マックは、 どうなっていたのか?興味津々です。

このマクドナルドと飲食店多店舗に於ける初期

最も大切な事として、書きました、 『スピード』に関して、更に、非常に興味深々な記事があります。 ダイエーとの提携話がご破算になった後を引き継いだのが 藤田商店、藤田 田社長でした。 先にも書きましたが、36時間か39時間かでお店を造りオープンした 話しは、有名な話しです。 1971年7月20日 銀座三越本店に1号店オープンしました。

マクドナルドの3店舗目の壁

1971年7月20日に1号店をオープンした 日本マクドナルド社。

2号店オープンは、いつだったか?

3号店、3店舗目の壁を超えたのは? いつだったのか? 1970年代です。 日本外食産業が入ってきた切欠が、 1975年の大阪万博だと言われています。 大阪万博にファミレスのロイヤルなどが出店し、 そこから、日本にファストフード、ファミレスが一気に なだれ込んで来たイメージですね。

問いに戻りますが、マック2号、3号のオープンは?

マクドナルド2号店(代々木店)、3号店(大井町) のオープンは、1971年7月24日、25日の連日オープンなのです。

たった5日間で3店舗の壁を越えたマックの凄さ!

7月20日に銀座、そこから5日の間に2号店、3号店と 矢継ぎ早に3店舗体制を完成です。

ここにもう一つの多店舗化の極意が隠されているんです。

その極意とは、何なのか? お店は、5日では普通できないですから、1号店オープンの7月20日より 先に手配し、工事に掛っていたんじゃないかと推測できます。 その中で、1号店は、ブランディングの為?か銀座に拘ったんじゃないかと 勝手に推測しています。 でも、アメリカから入って来た日本には過去に存在しない業態 (ドムドムは有りましたが・・・・)

人材はどうしたんだろう?と疑問が湧きますね!

経営は、人物金と言います。 お金と物件は、先に計画し、手配していた、人はどうしたのか? に関して、一つの秘密?があるんです。 ヒント!? ラーメン大学って知ってますか?

ハンバーガー大学です。

マクドナルドは社内にハンバーガー大学というのが存在します。

このハンバーガー大学の設立が、驚きです。

1970年6月 なんです。 1号店のオープンの前にハンバーガー大学を社内に設立していたんです。 この戦略が、5日で3店舗を可能にし、その後の快進撃を支える基盤と なってるんです。 全く利益を生まない、研修機関を真っ先に設立してから 店舗展開をスタートさせている。 これがマクドナルドの先見性や凄さだと思います。 研修機関を1970年代に持っていたこと自体驚きですし、 増してや、店舗オープン前に設立していた事実。!! マクドナルドが飲食業界のNo1の座を長きに渡りキープして来た 要因がここに有るんじゃないかと思います。 3店舗の壁を超える極意、集中して、人材育成を行う事 非常に大切であり、必須と言える事と思います。 このような投資を行える会社が、スピード感を持って 3店舗や5店舗の壁を飛び越えて行くんだと思います。

まとめ

いかがでしたか? 今回は、「3店舗の壁を飛ぶ超える極意 その2」について マクドナルドの歴史を振り返りお話して来ました。 マクドナルドも1970年代1店舗からスタートです。 最初から100店舗も1000店舗もあった訳じゃないです。 当たり前ですね! 戦略です。勝つ為の戦略 藤田 田氏で有名なのが、ユダヤ商法ですね! 今日は以上です。 理念、コンセプト、仕組みさえ構築すれば、3店舗は、 楽々超えて、10店舗へ向えます。 5店舗を超えると、見える景色が変わります。 展開初期は、『スピード』第一です。 遅いだけでダメです。 スピードつける為の準備が重要です。 ではまた次回!]]>